2021年12月19日日曜日

コンシュ「哲学的自然主義」(24)































自然の一貫性の原理は物質なのだろうか。

それは唯物論者が認めるところである。

これに対しては、ポジティブにもネガティブにも語ることができる。

物質は思考ではない、従って「意識のないものすべて、考えないもの(存在するために思考が必要でないもの)すべて、記憶、知性、意志、情動を欠いたすべて」が物質だとアンドレ・コント・スポンヴィルは言う。

このネガティブな定義は観念論に汚されているように見える。

なぜなら、それは思考に根ざすことから出発し、コギトを想定するからだが、数と空間という数学的存在もまた意識や記憶などを欠いているので、定義が広すぎるからである。

他方、物質とは何かをポジティブに言うのは物理学者の仕事になるだろう。

しかし、それを言おうとしているだろうか。

それは非物質主義に陥ることになる。

我々は電子や陽電子のために「物質」について語るが、光を与えると消滅する。

光はまだ物質である。

なぜなら、それは思考ではないからと言うだろう

しかし、光子に質量はない。

そのすべてのエネルギーは運動エネルギーにしか過ぎない。

それから、アインシュタインの式(E = mc2)によれば、質量自体はエネルギーに過ぎないので、すべてはエネルギーに帰着する。

バシュラールは「エネルギーがすべてを支えている。エネルギーの背後には何も残っていない」と言った。






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