2021年12月20日月曜日

コンシュ「哲学的自然主義」(25)


























我々は結局のところヘラクレイトスの「火」に戻る。

ハイゼンベルクは、「『火』を『エネルギー』という言葉で置き換えれば、我々は彼の言葉を殆んど逐一繰り返すことができる」と言った。

哲学的物理学者が今日の彼らがするように、常に「存在論」を語る必要がなかったのは、「存在する」ものがないからである。

しかし、「エネルギー」とは何を言うのだろうか。

それは「4次元ベクター(4次元空間にあるベクター)の構成要素である」とベルナール・デスパーニャは言う。

さらに、「我々は結局のところ非常に抽象的で、非常に『非物質的な』定義に辿り着くのである。分かりますか。4次元ベクターの構成要素とは、数学的な存在なのである」と付け加える。

我々は「小体」について語るが、確実なことは、もし小体が存在するとすれば、「不変性、不貫入性、そして空間の固定部分を満たす広がりというような物質の本質的特質は何も持っていない。従って、それに関連する波動と同様に、単なる数学的記号としてしか考えられない」とシャンバダルは言う。

それ故ミシェル・セールは、「物質」という言葉は「それが物理学の中で、あるいは物理学によって解析された瞬間から益々意味を成さないものになり、その結果、今日の優れた唯物論者は形而上学的にしか存在しない」と指摘している。

ミシェル・セールが一見して間違ったのは、もし形而上学が現実の全体を考え、物質という概念がこの現実の一部にとって「意味を失った」とすれば、すべてを物質に帰着させようとする形而上学的唯物論は不可能になるからである。








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