自律的な主体は存在しない。
その意味は、すべての生き考える存在は存在の条件を物質性の中に持っているので、この事実から死を運命付けられているということである。
しかし、主体を必須条件に過ぎないものに単純化してはならない。
なぜなら、他のものでは説明できない、単純化できない体験があるからである。
その上、人間の場合には思考や自由、一言でいえば個性がある。
唯物論者は、わたしが今しがた念を押したように、「考えるのは脳である」と言う。
それは、チンパンジーや他のすべての脳を持つ動物についてであれば、正しいかもしれない、あるいは少なくとも是認できるかもしれない。
ただ、「考える」という言葉を他の言葉に置き換えれば、という条件付きではあるのだが、。
脳の活動は、動物がその世界で生きる方法の必要十分の条件であり原因であると認めることはできるが、その原因は効果を生み出すが、それを説明はしない。
しかし、人間の場合には異なる。
「ピエレット、わたしはあなたを愛しています」と言うことは、「わたしの脳はあなたを愛しています」ということと同じではない。
要するに、唯物論は生命と精神を説明することに失敗しているのである。
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