遠くから見る場合、見えるものはぼやけている。
技術化された目で見ても同様である。
「軌道」と言うべきか。
「粒子」と言うべきか。
議論されている。
ハンス・ディーター・ツェーは「粒子はない」と言う。
トンネル効果という量子現象を利用する1981年に発明された走査型トンネル顕微鏡は、特定の表面の電子状態の形態と濃度を、原子のサイズと同等かそれ以下の解像度で決定する。
にもかかわらず、原子の写真を手に入れることができず、合成イメージだけである。
しかし、ミシェル・ビットボルは、「スクリーンへの影響も、泡箱の痕跡も、走査型トンネル顕微鏡によって提供される刺激的な画像も、それらが証明しているように見えることを証明していない」と書いている。
わたしには彼が懐疑主義を進め過ぎたように見える。
目の前に倍率が1,000万に達する可能性があるイオン顕微鏡で得られたタングステン先端表面の画像があり、特定の条件下では先端表面の原子を識別できる時には、彼に付いていく気にはならない。
ただ問題が残っている。
「我々は正確に何を見ているのか?」が肉眼と同様に技術化された目についても問われる。
わたしが受け入れていることは、いずれにせよ、目に届くものは夕日のように自然の中で起っているということである。
つまり、自然の一貫性があるのである。
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