しかしその上で、わたし自身の選択――それは唯物論ではない自然主義に向けられているのだが――について語る時である。
わたしは素直に哲学するつもりである。
「素直に」とは、わたしの省察を理性の正当性に関するカントの批判から生まれた制約に従わせることなく、という意味です。
カントの批判は、実際のところ、現実の全体に関する知として与えられた形而上学に反するものである。
しかし、我々はこのような形而上学の捉え方に別れを告げた。
形而上学は、科学とか知識であるという思い上がりなしに行われる自由な思弁である。
「哲学者は多様なやり方で世界を『解釈した』だけであった」とマルクスは言った(フォイエルバッハについての11番目のテーゼ)。
彼はそこで哲学が解釈以上のものではなかったことを認めている。
科学しか与えられない知識ではなく、従って一つの纏まりに還元されない多様な哲学が可能であること、そしてその多様な哲学の中から個人的な瞑想によってのみ選択が可能になることをマルクスは認識していたのである。
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