しかし、真の自然は科学にとってのものだと言われるだろう。
それは分子、原子、プロトン、ニュートロン、エレクトロンなどから構成されている。
わたしがいま語ったばかりの見かけの自然があり、見かけの自然の原因である真の自然がある。
これは、ホワイトヘッドが「自然の分岐」と呼んだもので、彼自身はもっともなことだが放棄した概念である。
彼はこう言っている。
「我々は『見かけの』という言葉を削除しなければならない。なぜなら、自然は一つしかないからで、それは我々の前にあり、知覚による知の中にある自然である。」
17-18世紀の哲学において、我々はボイルと共に「1次性質」と「2次性質」を区別することで自然を二つに分けた。
ガリレイによれば、自然は運動する物質の最小部分である「粒子」から構成される。
ただ、色、匂い、味は感覚器に依存している。
デカルトも同様の見方をしている。
ここに石がある。
彼は言う。
そこから硬さ、色、重さ、冷たさ、熱さなど、他のすべてのこの種の性質を取り除いてみよう。
なぜなら、それらが石の中にあるとは思わないからだ。
そうすると、我々が持っている本当の考えが残る。
その考えを構成するのは、長さ、幅、奥行きをもって広がる物質であると我々が明確に認識するということだけである。
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