2022年10月20日木曜日
コリングウッドによる自然(26): ルネサンス期の自然観(2)
2022年10月19日水曜日
『免疫学者のパリ心景』に見るメッセージ
「真理は知識の中にある。しかし我々は思考(ナハデンケン)するかぎりでのみ真なるものについて知るのであって、我々が歩いたり、立っていたりするかぎにおいて、そうなのではない。真理は直接的な知覚や直観においては認識されない。それは外面的感性的直観においても、また知的直観においても同様である。・・・ただ思惟の努力によってのみ真理は認識される」(武市健人訳)
「このように、それぞれが正当で不可欠な計算する思考と瞑想する思考という2種類の思考がある。しかし、人間が思考から逃げていると言う時に我々が見ているのは、この2番目の思考である。・・・瞑想する思考は時に大変な努力を要し、常に長い訓練が必要になるのである」
2022年10月18日火曜日
コリングウッドによる自然(25): ルネサンス期の自然観(1)
2022年10月17日月曜日
コリングウッドによる自然(24): アリストテレス(6)物質
物質(質料)という言葉でわたしが意味するものは、存在を決定する質とか量とかその他の属性を何一つその内に含まないものである
自然においてはすべてが常に発展しつつあり、可能態であったものが現実態(エネルゲイア)へと生成している
物質とは、可能態の無規定性に他ならないのである
可能態にあるものは、形相に向かう衝動が存在する
しかし、それを妨げる何らかの力も存在している
これこそ、アリストテレスの物質なのである
つまり物質とは、いまだ実現していない可能態のことを意味している
物質が完全に消失するのは、形相が実現し、可能態が現実態の中に解消するときだけである
そのため、純粋な現実態は全く物質を含まないのである
ところで、神であり得るが神でないものは存在しない
神は純粋な現実態であり、物質を全く含まないのである
2022年10月16日日曜日
コリングウッドによる自然(23): アリストテレス(5)不動の動者の複数性
2022年10月15日土曜日
コリングウッドによる自然(22): アリストテレス(4)その神学
2022年10月14日金曜日
コリングウッドによる自然(21): アリストテレス(3)その認識論
2022年10月13日木曜日
コリングウッドによる自然(20): アリストテレス(2)自ら動くものとしての自然
前回見たように、アリストテレス(384 BC-322 BC)にとっての自然は、イオニア学派やプラトン(427 BC-347 BC)と同様、自ら動く事物の世界である
この動きは、17世紀的な慣性によるものではなく、自発的運動による
ある変化が次の変化に繋がるが、それぞれの変化が次の形態の可能態(デュナミス)になる
ただ、これは進化を意味しない
なぜならアリストテレスは、自然の世界の変化は永遠に繰り返す循環的な構造を持っていると考えていたからである
自然が自ら動くものだとすれば、自然の外に作用因を求めることは理に適わない
ただ、自然が存在する以前に時間が存在したとすれば、そのような作用因も想定できるが、アリストテレスはそうは考えない
プラトンの『ティマイオス』と同じ考え方である
すなわち、この世界は自ら原因となり、自ら存在するものである
この考え方は、アリストテレスを唯物論者の仲間に入れるように見える
しかし、『形而上学』では全く新しい議論により「神」が再び宇宙論に導入される
物体は運動の内に在り、何らかの方法で運動するものでなければならない
その方法を自然法則と呼んでいる
それは方法の大体の性格を表現するもので、法則の制定者を考えることにはならない
しかしギリシア人にとっての自然は、熱意とか衝動とか傾向という特徴を持っていた
種子は芽を出し、若い動物は成長、発達し、大人の大きさと形になる
可能態とは、それが現実態(エネルゲイア)に向かう時に力となる衝動の存するところである
この衝動という概念は、自然の過程が目指す目的を想起させる(目的論的含意と持つ)ため、近代科学からは擬人的だとして排除された
種子の衝動を意識的な意志と同一視すれば擬人的だが、無意識にそうしようとしている可能性は否定できない
発達という概念は唯物論には致命的である
なぜなら、発達とは非物質的な原因を内に含むからである
種子が植物へと発達するのは物質的ではない何か、すなわち植物の形相のためであり、植物のプラトン的イデアである
それは形相因であると同時に目的因でもある
ここでアリストテレスはプラトンを超える
イデアに導かれる力を、イデアによって呼び起こされるのではなく、イデアとは独立に存在しているとしたのである
この力が生まれるのは作用因による
また目的因は、それが支配する力の向きを定めるだけではなく、それを引き起こすものと考えている
目的因は同時に作用因なのだが、それは非物質的なものである
種子は植物になることを「欲する」が故に成長する
「欲する」などという言葉を使うことができるのは、植物が知性や心は持っていないものの、魂、プシュケーを持ち、目的を認識してはいないが欲望や願望を持っているからである
形相とは、このような願望の対象である
願望の対象であることによって、他の事物に運動を引き起こすものである
この願望は、事物自身を形相に一致させ、できる限り形相を模倣したいという性質を持っている
形相とは、自らは動かずに自然の世界を最初に動かすものなのである
2022年10月12日水曜日
コリングウッドによる自然(19): アリストテレス(1)ピュシスの意味
2022年10月11日火曜日
コリングウッドによる自然(18): プラトンの宇宙論『ティマイオス』(4)
2022年10月10日月曜日
コリングウッドによる自然(17): プラトンの宇宙論『ティマイオス』(3)
2022年10月9日日曜日
コリングウッドによる自然(16): プラトンの宇宙論『ティマイオス』(2)
2022年10月8日土曜日
コリングウッドによる自然(15): プラトンの宇宙論『ティマイオス』(1)
今日から、しばらくお休みしていたコリングウッド(1889-1943)の議論に戻ってみたい
これから始まるのは『ティマイオス』の宇宙論で、これまでこの本を読んでいたのはその準備運動であった
この本はプラトンの自説を展開したというよりは、紀元前5世紀後半のピタゴラス学派の教説を述べたものだと考える学者もいるようだ
いずれにせよ、コリングウッドはその内容の説明を始める
まず、感覚的に捉えられる世界は、神によって創造された有機体あるいは動物だと考えられていること
ここにはイオニア思想が表れているが、ピタゴラス(582 BC-496 BC)による物質から形相への転換が見られる
上記学者は、『ティマイオス』の宇宙論は物質抜きで、すべては純粋な形相に解消されたとまで断言しているという
コリングウッドは、それは行き過ぎだと考えている
ただ、『ティマイオス』の物質は幾何学的形相を受け入れることができるもので、それは物質から超越して一つの叡智的世界を構成している
この叡智的世界こそが、神が自然を創造する時の手本とした永遠不変のモデルであった
叡智的世界は、様々な形相が弁証法的関係の力により動的に関係しているため、非物質的有機体あるいは動物であり、生きているとされる
ただ、その世界には時空間がないので、運動により生きているのではない
それでは一体、どのようにして時空のある自然界の特徴を創り出すのだろうか
まず、空間から考えてみたい
『ティマイオス』における空間は、叡智的世界の特徴に照応しない
空間あるいは物質(形相を受け入れるもので、空間と同一視している)から宇宙論を始めている
空間とは、そこから複製が創られるところであり、神が空間を創ったということを示そうとはしていない
時間に関しては、神の創造行為の前提ではなく、神の創造物の一つである
自然と同時に存在することになったものである
従って、創造は時間内の出来事ではなく、永遠の行為とも言えるものである
時間は「永遠の動く影」として創造されたという難解な表現がある
第1に、時間は自然的物質的世界の特徴で、通り過ぎては消えて行く
第2に、この世界の一切のものは叡智的世界の複製であるとすれば、そこには消え行く時間に照応する特徴がなければならない
それは、時間の不在や無限などではなく、変化も消滅も含まない「永遠」であるという
永遠とは、それ自身の存在するあらゆる時間に、それ自身に必要な一切のものを含んでいるものである
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わたしも興味を持っている「永遠」
分かったようなつもりになっていたが、よく分からない
もっとじっくり考えれば見えてくるのだろうか
あるいは・・・




















