Bellaria, 12 août 1958
現象学は感じ、生き、そして人生において真理を発見する一つのやり方である。それは人生における真理の、そして真理における人生の持続的な経験である。科学と技術が生まれるのは、芸術、倫理性、文化一般の形が生まれるのと同じように、この「図式的」で歴史的自然の経験からである。
フッサールが語る厳密さは、本質的なものとしての図式的なものの発見と密接に結び付いている。それは生きた知の基礎としてのプラトン主義のルネサンスである。存在は身体性であり生活世界である。統合、図式は自然と歴史の具体性である。それはプラトンが『パルメニデス』の第三の仮説の中で探求したものである。従って現象学は、技術的で最終的なもので体系的なものという意味における厳密な科学として哲学を発見することはない。フッサール自身、このように偶像化することを恐れていた。
現象学は真理への運動として、持続的な発見と再発見として、知覚しないものの無限の闇と真理の有限の光の間に位置する人生を経験することである。
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