これまでどこを見ていたのかと思うことが日常生活(「生活世界」と言い換えることにしようか)にはある
あることをしようとした場合、当然思い付いてよいことに思いが至らないのである
なぜそのことに気付かなかったのかと不思議になるのである
今日、何と長い間貴重な機会を利用していなかったのかという大発見をした
余りにも当たり前過ぎるのでその詳細には触れないが、完全な盲点になっていたのである
このようなことは偶に起こる
直ぐに最終点を認識できても良さそうなのだが、その前に他のところに行かなければ最終点が見えて来ないのだ
今回の例を振り返ってみれば、そのことを必死に求める気持ちがなく、最初から諦めていたようだ
昨日、ある方との会話の中で一つの可能性が提示された
今日それをやっている時、これができるならこれまで諦めていたことも同じようにできることに気付いたのだ
しかも直ぐにではなく、暫く経ってから
全くどうなっているのかという感じだが、こういうことに気付く過程は実に興味深い
今日の発見で可能性が広がり、これから少しだけ自由になるような気がしている
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