2021年7月18日日曜日

陶芸家、辻村史朗を観る


























昨夜、夜のセッションを終えて帰宅

窓を開けて涼んでいると闖入者があった

暫くその動きを追っていると、目の前に来たので写真に収めた



テレビを付けると、「作ることが、生きること」というタイトルが右上に出ている

辻村史朗という陶芸家を追ったドキュメンタリーであった

初めての方で、オートディダクトであることを知る

凄いもの、枠組みを超えたものが出てくるのはオートディダクトからではないかと考えているので興味深く観た



語りを聴きながら、永く自己との対話を続けて来られた方ではないかと想像する

印象に残った言葉をいくつか

「どう作るかではなく、どう生きるか」

その人の生活を含めたすべてが作品に出てくるのではないかと考えているようだ 


「一人でやることが重要」 

これもわたしの中にあるものと重なる

現代の科学は僅かの例外を除いてグループでやらざるを得ないが、哲学などは本来的に一人でやるものではないか 

ルドヴィク・フレックの言う思考集団(Denkkollectiv)から離れること 

そこにこそ、何か新しいものが生まれる可能性があるように感じられるのだ 


「到達できへんものに憧れてる」

これなどもまさにわたしが考える哲学への態度になるだろう


そして面白かったのが、夫の仕事ぶりを評して奥さんが「前のめり」と形容していたことだ

一昨日、このブログで同じ言葉を使ったばかりだったからだ

 

 

 

 


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