2021年7月23日金曜日

エンツォ・パーチさんの科学論を読む(5)

























第一部 科学の危機と現象学における時間の問題


2 生活世界の閉塞と超越的なるものの意味

(5)近代思想の歴史的背景

生活世界は自らを覆い隠す傾向がある

なぜならそれぞれの哲学者が「世界の中で」、「ありふれた日常の中で」自らを見失っているからである

同じことはグループやトレンドや時代についても言える

わたしは生まれることの中で留まることはしない・・・

すべての人に残された仕事は、ありふれた日常をエポケーすることにより、生活世界を再発見することである


我々が語ったことの中にある、間モナド性と目的論との結びつきに加えて、生活世界への還元と超越論的還元との結びつきに注目せよ

伝統の批判は、「ありふれた」伝統の批判である

より正確に言えば、それは両親から生まれたという事実の批判である

このように生まれるという中には、「閉塞された」わたしの存在やありふれた日常の中で失われたわたしの存在がある

新たにわたし自身を発見するということは、わたし自身を超越論的に還元することである

それは恰も、今わたしは超越論的還元により再び生まれなければならないかのように、わたしの中にある元々の「生活世界」を発見することである

しかし、わたしは再び生まれることはできない

今できることは、隠されたものを再び提示し、わたしに内在するありふれたものと閉塞されたものと闘うことである







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