昨日の朝の日美で画家の靉光(あいみつ;1907-1946)が取り上げられていた
代表作に『眼のある風景』がある
その風景になぜ眼があるのかについては諸説あるらしい
その中に、次のような考察があった
それは、自分が描いた絵と長い間向き合っているうちに、対象との逆転が起こったのではないかというもの
つまり、自分が描いていたと思っていたものに、逆に自分が見られているという感覚に陥ったのではないかというのだ
それで、そこに目を加えたのではないかという解釈であった
その解釈をわたし自身に引き寄せながら聞いていた
わたしの場合には書いたものがパソコンの画面に現れる
そこに自ずと相互作用が生まれる
対峙する時間が長くなれば、書かれてあるものが逆に語り掛けてくることがある
そこに発見が生まれる
その時、静かな悦びが湧いてくる
最近、このような自分の発見がないものには、自分自身が満足できないようになっている
それは何を意味しているのか
そのような発見があるまで、その中に留まったまま時を過ごすことである
どんなに小さなものであっても発見を求めるのである
書いたものの中に、それまで気付かなかった繋がりが見えることもその一つである
それは自分の考えがより明確になることであり、意識が一段高いところに向かうことである
そう考えるようになっている
このような気付きの機会がこれから増えることを期待するばかりである
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