第一部 科学の危機と現象学における時間の問題
2 生活世界の閉塞と超越的なるものの意味
(5)近代思想の歴史的背景
一般的に、フッサールにとってのデカルトは近代思想の真の始祖であり、我々すべてにとっては伝統の一部である
「デカルトの背後には哲学の歴史、ターレスにまで遡る哲学者のコミュニティがある
しかしデカルトは新たに始める
『我々現代の哲学者』もまた新たに始めるのである」
我々には前任者、先祖がいる
従って、我々が新たに始めるということは、『我々が実行できる程度に応じて、記憶すべき歴史的な現在化と結び付いている』
我々は我々自身の中に、今日の哲学者としての存在の中に、今は亡き哲学者たちの『現在の状態』であった存在を現在化する
彼らは「現在の哲学者とその哲学の歴史的想起の目覚め」の中で「記憶の中で呼び覚まされる」
我々は遺産のある部分は受け止め、他の部分は批判的に拒絶する
我々は閉塞に反論し、過去の哲学者には隠されたままであったものを明らかにしようとする
その結果として、彼らは我々の中に、伝統と再生の弁証法、そして「常に現在であるもの」と「新しいもの」との弁証法で構成される「永遠の哲学」(philosophia perennis)の中に再び生き返るのである
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