2021年11月18日木曜日
コンシュ「形而上学の概要」(21)
2021年11月17日水曜日
コンシュ「形而上学の概要」(20)
2021年11月16日火曜日
コンシュ「形而上学の概要」(19)
2021年11月15日月曜日
コンシュ「形而上学の概要」(18)
2021年11月14日日曜日
コンシュ「形而上学の概要」(17)
2021年11月13日土曜日
「科学の形而上学化」を文化に、そして今なぜ改めて「科学精神」なのか
「医学のあゆみ」誌に連載中のエッセイ『パリから見えるこの世界』の第103回が出ました
「科学の形而上学化」を文化に、そして今なぜ改めて「科学精神」なのか
医学のあゆみ(2021.11.13)279(7): 759-763, 2021
現代を取り巻く根本的な問題についても触れています
ご一読いただければ幸いです
2021年11月12日金曜日
コンシュ「形而上学の概要」(16)
2021年11月11日木曜日
コンシュ「形而上学の概要」(15)
2021年11月10日水曜日
コンシュ「形而上学の概要」(14)
自然の創造性はどういうものだろうか。
自然はその創造を前もってプログラムすることができない。
なぜなら、自然は、例えばカリフラワーが存在する前にカリフラワーなるものをどのようにして「知る」のだろうか。
自然は詩人以上には自分がやっていることがどのようなものになるのかを知らない。
ヴィクトル・ユーゴーは自分が創るまえには『眠るボアズ』(Booz endormi)がどのようなものになるのか知らなかった。
デカルトによれば、科学は実用的な応用によって「我々を自然の主人であると共に所有者にすること」ができる。
彼は恰も人間が自然の一部ではないかのように、人間と自然を対立させる。
その場合、自然は鉱物であり、動物であり植物である。
創造主である神の役割を確保するために、自然の創造性を制限する。
しかし、自然は人間をも創造したのである。
もし、自然を単に物質世界や動植物界の存在に表れている力だと理解するのであれば、人間と共に自然はそれ自身を超え、昇華していると言わなければならない。
2021年11月9日火曜日
コンシュ「形而上学の概要」(13)
2021年11月8日月曜日
コンシュ「形而上学の概要」(12)
2021年11月7日日曜日
コンシュ「形而上学の概要」(11)
2021年11月6日土曜日
古代ギリシアの "Phusis" の意味
このところコンシュさんの話を聴いているが、その中で最も重要な概念の一つに "phusis"(自然)があることが分かってきた
"phusis"は、存在するすべてのもの・こと、無限、すべてを包み込むものなどと紹介されていた
ここでもう少し詳しく、この概念についての研究を眺めてみたい
ある研究によれば、4つの意味が提示されているという
一つは、原初のものという解釈である
イオニアの哲学者はすべてのものの一つの"phusis"を探究したという意味合いで使われているという
彼らが世界を構成すると考えた水とか火とか空気などのアルケー(始まりとか原理)に当たるものだろう
第二は、過程の意味で使われている
ソクラテス以前の哲学者は過程に重点を置いたと考える人たちの解釈である
例えばコリングウッドは、彼らにとっての自然は、世界とか世界を構成するものを意味するのではなく、それらのものに内在するそのように行動させる何かであると考えていた
第三は、原初のものと過程の両方が含まれているとする解釈である
一方で成長とか出現を意味し、他方で成長した元のところ(起源)を意味する"phuomai"という動詞と同義であると理解する人がいる
ターレスにとって水は"phusis"と同義で、アルケーであると同時に完成した現実を生み出す要素と見ていたという
そして第四は、起源であり、過程であり、結果だとする解釈である
それは、アルケー(すべてを生み出すもとにあるもの)であり、成長の過程であり、その過程の最終産物である
つまり、宇宙の起源と成長、最初から最後までを含んでいる
宇宙の起源と進化、そしてその結果としての今見えている世界のすべてに興味を示す解釈と言えるだろう
そう考えると、この言葉に含まれる世界はかなり壮大なものになる
頭の中を極限まで広げなければならないことが改めて分かる
2021年11月5日金曜日
コンシュ「形而上学の概要」(10)
2021年11月4日木曜日
コンシュ「形而上学の概要」(9)
しかし、存在の解体は生成以外の何ものでもない。
それが、ピュロンの弟子アイネシデモスと彼自身の弟子が「懐疑主義的方向性はヘラクレイトスの哲学に至る道(hodos)であると言っていた」理由である。
プラトンは我々に、ヘラクレイトスによれば「すべては譲り、ちゃんと維持するものは何もない」と言った。
すべて(panta=すべてのものこと)」という言葉は、何らかの実体を持つすべてと理解しなければならない。
この人間、この家、この本、この景色、この色、この友情など。
シュテファン・ツヴァイクは『過去への旅』の中で、愛は時間には逆らえないことを我々に示した。
すべてのものこと、存在、性質あるいは存在の在り方を「譲らせる」力とは、実際のところ、ヘラクレイトスがaiônと名付けた永遠の時の力である。
すべてが譲り、すべてが流れるが、時は流れない。
非永続性は普遍的なのである。
それは真に存在が在ることを許さない。
しかし、非永続性自体は不変である。
生成の法則は衰退することがない。
それは永遠である。
それでは、「留まり、変わらない」ものは何だろうか。
すべてのものことの実質のなさや虚飾は終わり、非永続性、変化、未来から過去への絶えざる変容が残る。
それが時間の作用である。
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懐疑主義者は仮象は疑わなかったが、実体とか存在というものを疑った
存在が消えた後に残ったのが生成だという
全てが移ろい行くヘラクレイトスの世界になったのである
永続するものは何もない
すなわち、生成は永遠に続くことになる
そして、このような力に抗するのが永遠のとき(aiôn)の力だという
この言葉は「生命の力」、「運命」、「時代」、「世代」とも訳されている
古代ギリシアの時間の概念には「アイオーン」の他に、直線的に続く「クロノス」、時宜を得た時を意味する「カイロス」がある
2021年11月3日水曜日
コンシュ「形而上学の概要」(8)
2021年11月2日火曜日
コンシュ「形而上学の概要」(7)
「なぜ我々は、永遠の夜の無限の流れの中で閃光にしか過ぎないこの瞬間を存在であると名乗るのか」