確かに、ヘラクレイトスには普遍的で永遠の生命への直観がある。
彼は、「この世界は・・・常に在ったし、現在も将来もそうである。火は常に生きており、適度に点火し、適度に消火する」と言っている。
しかし彼は、世界の囲いの中に生命と閉じ込める。
このようなことはアナクシマンドロスにはない。
生命の創造性を世界という大きな組織体の創造だけに限定するのは、アナクシマンドロスにとって生命の本質に矛盾するように見える。
おそらく、ヘラクレイトスの世界においては、すべてのもの・ことは常に新しく流れていて、「同じものに永遠に回帰する」という馬鹿げたことに類似したものは何もない。
しかし、もし多様性が無限に進むとすれば、それは一般的な構造の側面にあり、生成の結果ではなく単に配置されるだけである。
アナクシマンドロスの自然主義は進化論的である。
人間は生成した人間の結果であり、世界は生成した世界の結果である。
しかし、永遠で無限の自然(phusis apeiros)からここにある我々の世界へどのように移行するのだろうか。
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