結論
(「多数の無限性」の一つとしての)無限で永遠の自然は、すべての「もの・こと」が途切れず倦むことのない創造によって生まれる源泉である。
そこでは、未来がすでに過去に含まれることはなく、すべては常に何らかの形で新しい。
自然は詩人を生み出す。
自然は永遠の詩人である。
科学的思想は自然の部分しか相手にしないが、形而上学は自然と現実のすべてを視野に入れている。
自然主義の形而上学的言説は、哲学者にとって真理そのものであるものを明らかにする。
しかし、議論や直観や証拠の感覚に過ぎないものしかない場合、その言説は証拠がないので、すべての人に働きかける方法を持っていない。
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今回でこのテーマは終わった
自然は創造の源であり、永遠の詩人である
科学はその一部しか相手にできないが、形而上学はそのすべてを視野に入れている
そこから真理が見つかることもある
その際重要となるのは、単なる議論や直観、証拠を掴んだような感覚だけでは駄目で、あくまでも証拠が重要だと言っている
そうしなければ、広く認められることにはならない
これがコンシュさんの考える形而上学の骨格のようである
少なくとも今の段階では異論はない、と言えるだろう
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