我々は無限の中で、個々の決定を想定することができないのは明らかである。
そこにいないだろう他のものは除き。
それは、最良の原理のような選択の原理を与えることで、それゆえ有神論のような何かに向かうことだろう。
しかし、無限の自然は何もできない、そしてそれは最早自然ではない、あるいは何でもできる。
数えきれない世界が(共存し、連続して)複数あるという考え方は、自然の無限性とここに在るこの世界の間の仲介を保証している。
今日、ビッグバンの宇宙は複数ある世界の一つで、それは我々のものでもあるとわたしは言うだろう。
アナクシマンドロスの直観は、宇宙論学者の発見や理論と響き合っている.
無限の自然のことを「そこからすべての空とそこにある世界が生まれる」と言ったアナクシマンドロスは「かなり詩的な言葉で」表現したと、シンプリキオスは言った。
今日、形而上学者が自然の無限性や、ビッグバンの宇宙をあらゆるところから取り囲む無数の宇宙について思索する時、彼は「詩的にする」(poétiser)とも言えるだろう。
なぜなら、彼の頭には彼が使う言葉に科学的な要素を与える方程式がないからである。
科学は進歩するが、詩には全く進歩がない。
ホメロスが超えられることはなかったのである。
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