2021年11月21日日曜日

コンシュ「哲学的自然主義」(1)





コンシュさんの形而上学に関する大きな枠組みについて読んできたが、もう少し詳しく知りたくなってきた

ということで、その先にある「哲学的自然主義」の章を読むことにした

これはわたしが考えている「科学の形而上学化」にも繋がるところがありそうな予感がするからだろうか

早速、読み始めたい


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現代における形而上学は、唯物論者そして自然主義者でさえも形而上学者ではあり得ないように定義されてきた。

聖トマスは形而上学を超自然の科学と定義した。

その対象(transphysica)は神学と同じだが、方法として知性(intellectus)と理性(ratio)だけしか用いないという点で神学とは異なっている。

デカルトにとっての形而上学は、「自然の理性によって」神と魂を知ることが目的であった。

これがトマス主義者である。

ボシュエによれば、形而上学は「物質ではない」ものを扱う。

従って、物質でないようなものを否定する唯物論者は形而上学者ではあり得ない。

ヴォルテールはその『哲学辞典』において、「物質ではないものは形而上学的である」という一般的な意見を書いている。

そこから19世紀に至り、例えばエルメ・マリー・カロの以下の考えがある。

彼が反対する実証主義によって、「我々は以下の二つを同じように遠ざける。一つは、宇宙には理由があり、それを知ることができると断言する人たち――汎神論者、観念論者、唯心論者、形而上学者のすべての学派――で、もう一つは、現象には最終的な目的があることを自信を持って否定する人たち――唯物論者、無神論者、すべての形而上学の敵――である」。

1965から1969年にかけて、わたしはリールの文学部で教えていた。

わたしは形而上学のテーマを扱いたかった。

その時一人の同僚が、形而上学はカトリックの学部に任せなければならないと言ったのである。








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