しかし、存在の解体は生成以外の何ものでもない。
それが、ピュロンの弟子アイネシデモスと彼自身の弟子が「懐疑主義的方向性はヘラクレイトスの哲学に至る道(hodos)であると言っていた」理由である。
プラトンは我々に、ヘラクレイトスによれば「すべては譲り、ちゃんと維持するものは何もない」と言った。
すべて(panta=すべてのものこと)」という言葉は、何らかの実体を持つすべてと理解しなければならない。
この人間、この家、この本、この景色、この色、この友情など。
シュテファン・ツヴァイクは『過去への旅』の中で、愛は時間には逆らえないことを我々に示した。
すべてのものこと、存在、性質あるいは存在の在り方を「譲らせる」力とは、実際のところ、ヘラクレイトスがaiônと名付けた永遠の時の力である。
すべてが譲り、すべてが流れるが、時は流れない。
非永続性は普遍的なのである。
それは真に存在が在ることを許さない。
しかし、非永続性自体は不変である。
生成の法則は衰退することがない。
それは永遠である。
それでは、「留まり、変わらない」ものは何だろうか。
すべてのものことの実質のなさや虚飾は終わり、非永続性、変化、未来から過去への絶えざる変容が残る。
それが時間の作用である。
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懐疑主義者は仮象は疑わなかったが、実体とか存在というものを疑った
存在が消えた後に残ったのが生成だという
全てが移ろい行くヘラクレイトスの世界になったのである
永続するものは何もない
すなわち、生成は永遠に続くことになる
そして、このような力に抗するのが永遠のとき(aiôn)の力だという
この言葉は「生命の力」、「運命」、「時代」、「世代」とも訳されている
古代ギリシアの時間の概念には「アイオーン」の他に、直線的に続く「クロノス」、時宜を得た時を意味する「カイロス」がある
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