また、アナクシマンドロスが「もの・こと」が生み出されることを記述するやり方は、今日でも我々に語り掛ける。
生きている自然は一つの生身の存在ではないが、生み出すことができる。
Gonimos(γόνιμος)とは「生み出すことができる」ということを意味している。
この言葉はアナクシマンドロスのものなのか。
わたしにはそれらしく見えた。
自然は優れてGonimonである。
すべての質の混ぜ合わせが試される永続的な混合の後に無数の特別の自然(gonimoi)が現れる。
そのそれぞれは熱いものと冷たいものの何らかの関係ではなく、生産的な正しい関係を実現している。
「熱いもの」は生にとって望ましいポジティブな極で、冷たいものはその反対である。
熱いものは生に恩恵を与えるが、冷たいものによって和らげられる。
冷たいものは熱いものによって緩和されない限り、死を優遇する。
Gonimoi は実現可能な生産の結果で、「世界」(cosmoi)と名付けられる。
それは有限性の特徴を持つ特別の自然なので、無限とは程遠いその力はある時間の枠を超えては広がることはできない。
従って、世界は滅びやすいのである。
それは我々の宇宙を含めた宇宙にしても同じであるとわたしには思えてくる。
ビッグバンの宇宙は始まりがあったので、終わりがあることは明らかである。
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