2021年11月25日木曜日

コンシュ「哲学的自然主義」(5)

























今朝は明るい日が差し、風がない

久し振りに紫煙の時を味わうことにした

この時間は内的空間を大きく広げてくれる

普段は別々のところにあるものを繋げてくれる

気持ちが洗われたところで、今日もコンシュさんに当たってみたい


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唯物論は唯物論の真理を肯定した途端に、自由を否定する場合、自己矛盾を起こす。

なぜなら、その肯定は自由を通してしか真理の意味を持ち得ないからである。

さらに、世界に感覚を開くことは、それだけですでに自由である。

自由な存在だけが目の前にあるものを、ただ目の前のここにあるものとして見ることができるのである。

わたしは動物が彼らの世界を持っていないとは言いたくない。

猫や犬のように、ハエや蜂あるいはハリネズミの世界がないとは言いたくない。

しかし、それは開いた世界ではない。

確かに、人間の世界も、何かに没頭する世界でしかない限りは、同じように閉じている。

例えば、農民や猟師や散策者のような世界は閉じている。

しかし、この柵は開口部の底にある。

農民は農民であることを一瞬忘れ、囚われのない自由な視線に現れる世界を虚心坦懐に眺めることができる。

なぜなら彼は、農民である前に考える人だからである。

動物はその程度は様々だが、知性や意識を持っているが、思考はしない。

考えるとは、「これは存在する」あるいは「これは存在しない」と言えることである。

それは真なる判断をすることができることである。

思考は人間にしか属しておらず、自由によってのみ可能になるものである。







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