自然の創造性はどういうものだろうか。
自然はその創造を前もってプログラムすることができない。
なぜなら、自然は、例えばカリフラワーが存在する前にカリフラワーなるものをどのようにして「知る」のだろうか。
自然は詩人以上には自分がやっていることがどのようなものになるのかを知らない。
ヴィクトル・ユーゴーは自分が創るまえには『眠るボアズ』(Booz endormi)がどのようなものになるのか知らなかった。
デカルトによれば、科学は実用的な応用によって「我々を自然の主人であると共に所有者にすること」ができる。
彼は恰も人間が自然の一部ではないかのように、人間と自然を対立させる。
その場合、自然は鉱物であり、動物であり植物である。
創造主である神の役割を確保するために、自然の創造性を制限する。
しかし、自然は人間をも創造したのである。
もし、自然を単に物質世界や動植物界の存在に表れている力だと理解するのであれば、人間と共に自然はそれ自身を超え、昇華していると言わなければならない。
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