2021年11月29日月曜日

コンシュ「哲学的自然主義」(9)































民主制において、選挙の選択の場合、人々は一般に自分の利益であると考えるものに従うか、政府がやるべきなのにやっていないことに立脚する考えに従って行動するか、個人的な好み、共感あるいは反感に任せるかである。

彼らは自分の選択が非常に異なった興味や計画、あるいは全く異なる共感や反感を持っている人にも有効であると主張しているわけではない。

しかし、形而上学的選択には普遍性がある。

なぜなら、我々が選ぶものは現実の全体について、従って世界と人間の全体についての真実だからである。

科学的真理は選ばれてはいない。

微生物が存在し、水は水素と酸素から構成され、地球は太陽の周りを回っている。

これらすべてをあなたたちは認めなければならない。

しかし、形而上学的真理は選ばれている。

なぜなら、我々はそれが何であるのかを知らないが、それでも形而上学的真理なしに済ますことはできないからである。

選択は不可避であると同時に、自由である。

しかしながら、我々は不確実性の中で選択するのである。


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今回も普遍性の問題が引っ掛かった

科学的真理は選ぶことができず、受け入れなければならない

それに対して、形而上学的真理は選ばれているので誰にでも当て嵌まるわけではないという

とすれば、科学的真理の方に普遍性があるように見えるのだが、、

あるいは、科学は部分についての真理を求めるのに対して、形而上学は人間、世界の全体に対する真理を扱っているからと言いたいのだろうか

ただ、それはすべての人に当て嵌まるわけではなく、選択が行われている

選ばれたそれぞれは万能ではないが、それぞれの中では全体に迫ろうとしていることをもって普遍的だと言いたいのだろうか

もう少し考える時間が必要のようだ






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