今私が言ったことは、議論と証明を区別することを要求する。
子供の苦しみを議論することには大きな説得力があり、わたしも実際に説得された。
しかし、そこに証拠としての価値はない。
もしそのようなことが事実なら、説得力があるだけではなく、実証的な力を持つだろう
そして神を信じる人は、理性が欠如していなければそれを拒否することができない。
精神には証拠に従うかどうかの自由はないが、議論に従うかどうかの自由はある。
自由が生まれるや否や個性が生まれる。
形而上学は哲学者の個性と切り離せない。
なので、「デカルトの」、「マルブランシュの」、あるいは「ライプニッツの」形而上学などと言われる。
哲学者の個性形成に極めて重要なのは、宗教的なのかどうか、キリスト教的なのかどうかというその人が受けた教育であった。
確かに、哲学自体は理性の飛躍から生まれるが、哲学は完全に実証的な特徴を持っておらず、選択を前提としている。
そのため、思想がこちらの方向、あるいはあちらの方向に向かう可能性がある。
そのことが、同じ時代にも関わらず、一方ではデカルト、他方では(例えば)ガッサンディを生むことになる。
わたしはわたしの時代の、わたしの国の人間として哲学してきた。
情報手段の進歩により、わたしはライプニッツが『弁神論』を書いた時代の人よりもこの惑星の人間の苦しみにずっと感受性が高くなった。
そして、わたしは12歳から18歳までの「補習授業」で、宗教から独立した教育を受けた。
そこでは、宗教的真理を教え込まれることが全くなかっただけではなく、宗教は何か古臭いものと見做されていた。
この教育は、まるで古代ギリシア時代に生きているかのように、わたしの精神を自由にしたのである。
それ以来、わたしが哲学に身を捧げることは極自然であった。
わたしの精神の哲学的発展を妨げ、わたしの精神を自分自身のものではない選択に従わせるような出会いがなかったのは幸いであった。
哲学者にとって、「師」を持たないということは大きな利点なのである。
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冒頭の論理がよく理解できなかった
このパラグラフでも、宗教とコンシュさんの考える哲学は相容れないことが分かる
宗教から自由であったことで、古代ギリシア人のような精神の自由を保持できたという
その自由は「師」からの自由とも通じるのだろう
まさにレオ・フェレも歌った Ni Dieu Ni Maître の世界だ
コンシュさんとこんなところで繋がっているとは思いもしなかった
本当に驚いた
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