2021年10月8日金曜日

コンシュ『形而上学』の緒言(3)



















(23)道徳は意見の問題ではない。それは対話という単純な事実とそれが包含するものに基づいている、すなわち道徳は、対話においてすべての人間が対話者を対等であると認めることから正当化されるのである(『道徳の基盤』、PUF)。

(24)我々の時代が持っている形において、すべての人がすべての人を助ける義務としての道徳的義務は、世界内存在(Dasein)の本質的特徴で、それは今日の我々のものである(『愛と他の主題の解析』、第2章、PUF)。

(25)道徳は一つだが、倫理は複数ある。道徳は無条件の義務という概念を含むが、倫理はそれぞれの自由な選択に属している。

(26)幸福の倫理(幸せであるために生きること)は、可能な倫理の一つにしか過ぎない。

(27)人間が「真に」存在する在り方はいくつもある。その存在の真実において、人間は自己原因(causa sui)である(『明日のためにどんな哲学?』第4章、§3、PUF)。

(28)知恵は形而上学と整合性のある倫理である。

(29)悦びにも幸福にも導かない悲劇的な知恵は、可能な最大の価値を、長くは続かないにもかかわらず生命と作品(仕事)に与えることを狙っている(『哲学的オリエンテーション』、第7章、PUF)。

(30)人間にとって、自分が持った生以外の生は存在しない。

(31)我々は不確実さの中を進む。未来は短期的なことを超えては予知できない。

(32)幸福が、その性質上、期待されることも望まれることもなくやって来る時、賢者はそれを感謝の気持ちで受け入れる。

(33)戦争は、子供は理解できないという理由で行われ、他方、すべての戦争は無垢の人が初めて殺されたところで不正義になるので、賢者は如何なる戦争にも参加しない。しかし、彼は「侵略者に抵抗してはいけない」とは言わないのである。

(34)生命の意味は、我々の後に来る人達への愛である。

(35)作品(仕事)の意味は、この愛の中にある。


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これがコンシュさんの哲学の35のエッセンスである

この中でわたしに訴えかけてきたのは、最大の価値を生命と作品(仕事)に与えよ、という悲劇的な知恵であった

そして、生命の意味を後に続く人たちへの愛の中に、作品(仕事)の意味をその愛の中に見る

しかしそれは悦びにも幸福にも導かないという意味で悲劇的というのだろうか

もう少し考えてみたい







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