2021年10月24日日曜日

意識の深度の個人史


























今朝は快晴で、快適である

今日はこの時間を味わってから動き出すことにしたい



ところで、目覚める時に何らかの考えが浮かぶことが少なくないが、今朝はこんな思いが巡っていた

それは内的世界の深さの問題で、以前から感じていたこととも関連する

今の時点から振り返れば、仕事をしていた時は「気晴らし」の時間が少なくなく、深く考えることはあまりなかったように見える

意識のレベルから見れば、浅いところに留まることが多かったため、思索していると思っていた時間は明確に区別され、深いところにいると思っていたようである

2つの状態の落差が大きかったとも言えるだろう


この状態に気付き、もう少し深いところを探索する時間を増やしたいという思いが、わたしをフランスに向かわせることになった

そして、「全的生活」と名付けた生活を目指して始めたフランス生活だったが、最初の6年くらいは新しい現実の前で意識は外に向かっていたようである

新しい現実の中には、フランスという新しい土地、文化、フランス語という新しい世界、そして哲学という新しい分野が含まれている

この刺激は想像を超えるものであった

この間、1冊200ページのノートを持ち歩き、入ってきた外の世界を写し取っていた

6年間で60冊超がたまったが、それ以降は書き込む意欲がなくなった

その時、新しい世界を日常として冷静に見ることができるようになったと感じたのである

そうなるために6年を要したとも言えるだろう


それから徐々に深いところに留まる時間が増え、今では「気晴らし」の時間との落差がなくなっている

言葉を換えれば、「気晴らし」を求めなくなっているため、定常的に意識の底にいるのである

仕事をしていた時の状態を今再現することができないので、意識の深度を比較することができないのは残念である

ただ、昔は見ることができなかったものことを見ることができるようになっているとは思いたいものである

そして、現在がどんな状態なのか、いずれ振り返る時が来ることも願っている








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