2021年10月1日金曜日

コンシュ「哲学とその向こう側」(16)




哲学において、誰がソクラテスを「超えた」と言えるだろうか

彼は知り得ることすべてを知っていた

抽象的な空間で、我々はどのようにより進歩したのだろうか

人間の状態は無知の状態である

彼はどのように生きるべきかを知っていた

死の瞬間には、一方で自分が送った人生に同意の眼差しを、他方、未来に対する自信の眼差しを送ることができるように

なぜなら、我々が愛した人たち、そして我々の理想において我々に似ている人たちが我々の人生を続けるからである



伝説によれば、カントは死に際して、「これでよい」と言ったとされる

彼はプロイセン人をより良くしようとしてケーニヒスベルクの通りを歩いたわけではなかった

しかし彼は、おそらくそれよりは容易であった『純粋理性批判』を書いた

ソクラテスのミッションを決めた神は、「哲学をしながら、自分自身と他の人を吟味しながら生きる」という仕事を彼に割り当てた

この神は、この仕事が永久に他の人のものであることを望まなかったのである

それはただ一人ソクラテスのものであり、あり続けている

したがって、ここでのソクラテスはモデルでもなければ実例でもなく、例外なのである

しかし、最後に「これでよい」と言うことができるように生きる方法はいくつもある



ところで、ソクラテスの生き方は彼だけのものであるとしても、彼の死に方はすべての人のモデルとなる

なぜなら、どのようにして死の悲しみを消し去るのかという問題があるからだ

ホメロスの英雄たちには、永遠不滅であるという考えが齎す慰めがあり、ホメロス自身にとっては、自身の作品が世紀を跨いで生き延びるという自信があった

しかし普通の人ーーたとえ生き延びる可能性のある作品を仕上げたとしても、自身を平凡な人間であると考えるほどに謙虚な人ーーにとって、ありきたりな人間にとって、幸福な死の秘密とは何なのか

それは愛である








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