2021年10月25日月曜日

コンシュ「形而上学の概要」(1)














今日も気持ちの良い朝となっている

午後には久し振りに投票に行ってきたが、会場が混んでいたので驚いた


さて、コンシュさんの『形而上学』の続きを見ると、第3章が「形而上学の概要」となっている

興味をそそられるので、もう少し読み進むことにしたい


----------------------------------------------------------------


もし「自然主義」という言葉をスピノザの哲学に適用するのなら、わたしの哲学も一種の自然主義――すなわち、自然(Phusis)がすべての「もの・こと」のアルファでありオメガである現実の概念――であると言うだろう。

多くの点でスピノザとわたしは違っている。

(形而上学が証明可能であり得るとか、真理を説明する方法としてユークリッドの枠組みが適しているとか。

もし自然が無限の側面を覆い隠しているとすれば、我々知っているのは二つだけだろう。

魂と体の間には類似性がある。

「意志」という言葉は空疎な言葉である。

知恵とは「死ではなく、生について」瞑想することである。――なぜなら、二つの対立するものは不可分だからである。――

悦びだけがよいことである。

道徳は倫理と混同されている。

倫理と政治は形而上学と結び付いている、ということなどである)。

主には、これである。

わたしから見れば、それは欲求ではなく、人間の本質である自由である。

人間は自然の創造である。

我々は、自然の中における自由な存在の誕生が理解できるように、自然を捉えなければならない。


これが、わたしが大雑把に「唯物論者」ではなく「自然主義者」だと言うところのわたしの哲学の本質的な特徴である。






0 件のコメント:

コメントを投稿