引力が物質にとって生得であり、内在的で本質的であるべきなので、一つの物体がもう一つの離れたところにある物体に何の仲介もなしに作用するということは、わたしには全くの不可解なことなので、哲学的問題において思考力のある人であればそんな考えに陥るとは到底信じられないのである
2022年12月20日火曜日
コリングウッドによる自然(67): 現代の自然観(9)現代物理学(2)
2022年12月19日月曜日
コリングウッドによる自然(66): 現代の自然観(8)現代物理学(1)
2022年12月18日日曜日
雪見の紫煙
2022年12月17日土曜日
コリングウッドによる自然(65): 現代の自然観(7)ベルクソン(4)
ベルクソン(1859-1941)の生気論に関わるこのような不均衡と矛盾の感覚があるので、我々は彼の基本的な概念を詳しく調べなければならない
自然の有機体と自然の法則の両方を創造する働きをし、直観的に知識を求めると同時に知的に行動する精神を有機体に付与する生命力は、その外にもそれ以前にも何もない力である
しかしそれは、いろいろなやり方でそれ自身を分化させ組織化する
異なる方向に分枝、発展し、この方向では成功し、別の方法では失敗する
ここでは停滞に陥り、あそこでは中断されない勢いで流れていくと言った具合である
つまり、この活動の詳細な記述を通して、彼はこの活動を恰も岩や山の間を流れる川として捉え、岩や山は川の運動自体を決定しないが、分枝や多様化は決定していると考えていた
これは、閉塞や分枝の原因は生命力そのものに内在するのか、この原因は生命ではない何かなのかのどちらかを意味している
最初の選択肢は、ベルクソンの純粋な活動としての生命という概念によって除外される
それゆえ、第二の選択肢のそれ自身で実在する何か、生命の流れの障害としての原因を考えなければならなくなる
ここで再び、生命が役割を演じる舞台としての物質という観念に戻ってくる
これはベルクソンの宇宙論の悪循環である
彼は表面上、生命の副産物として物質を見做していたが、物質を前提とすることなくどのようにして副産物が現れるのか説明できなかったのである
この結論は、ベルクソンの認識論にとって致命的である
宇宙論として見たベルクソン哲学の問題は、彼が生命を真剣に考えたことではなく、それ以外を真剣に考えなかったことである
生命という概念は、世界の一般的な性質にとって最も重要なカギになる一つであるが、全体としての世界の十分な定義にはならない
物理学者の無生物の世界は、ベルクソンの形而上学にとって重荷である
それに対して、彼の生命プロセスの中で消化する以外に彼にできることは何もないからである
そして、それは消化し得ないものであることが明らかになったのである
しかし、彼が生命に注意を集中することにより成し遂げた自然理論の進展は否定できない
我々はベルクソンの仕事を無視することはできない
我々がやるべきことは、彼が解決できなかった生命のない物質という概念について再考することである
2022年12月16日金曜日
コリングウッドによる自然(64): 現代の自然観(6)ベルクソン(3)
2022年12月15日木曜日
コリングウッドによる自然(63): 現代の自然観(5)ベルクソン(2)
すでに見たように、生命とはまず何よりも人間の精神を生み出す力であり過程である
それに対する物質とは、それを操作するために精神が現実を考える1つのやり方であるが、この現実は生命そのものである
生命と物質はいかなる意味においても対峙するものなので、生命は物質ではあり得ない
つまり、物質は行動のために有用で必要な知性の産物であり、真なるものではない
従って、物質はベルクソンの宇宙論からは排除され、生命の過程とその産物だけから成る世界が残されたのである
この過程が「創造的進化」とされるものである
作用因なるものは、物質の架空の世界に属するとされて、この過程から追放される
作用因に従って動くものは、単に引っ張られたり押されたりしているだけだが、生命はそこに内在する「エラン・ヴィタル」に従い、それ自身で動くのである
同時に目的因も追放される
なぜなら、目的因の場合、終わりが前もって決められており、その過程の創造性や自発性が否定されるからである
ベルクソンは目的論を逆さまになったメカニズムだと言った
世界の過程は、壮大な即興演奏である
生命の力は、いかなる目的もゴールもその外の導きの光も内なる導きの原理もない
それは、内在する性質が流れることであり、どんな方向にもいつまでも推し進める単なる力である
物質的なものはこの宇宙的な運動の前提ではなく、その産物である
自然の法則はその過程を導く法則ではなく、一時的に採用する輪郭に過ぎない
延長から成る感覚器により感受可能な(perceptible)世界と、その振舞を支配している変わることのない理解可能(intelligible)な法則という古い区別
つまり、古代ギリシアの感受可能な世界と精神による理解が可能な世界との区別が、両者とも進化という過程に組み込まれることにより否定されたのである
進化の過程は、変化するものと、その変化のやはり変化する法則を一度に生み出すのである
2022年12月14日水曜日
コリングウッドによる自然(62): 現代の自然観(4)ベルクソン(1)
2022年12月13日火曜日
コリングウッドによる自然(61): 現代の自然観(3)生命という概念(3)
2022年12月12日月曜日
コリングウッドによる自然(60): 現代の自然観(2)生命という概念(2)
2022年12月11日日曜日
穐吉敏子さんとの何度目かの遭遇
2022年12月10日土曜日
コリングウッドによる自然(59): 現代の自然観(1)生命という概念(1)
2022年12月9日金曜日
コリングウッドによる自然(58): ヘーゲル(13)
2022年12月8日木曜日
コリングウッドによる自然(57): ヘーゲル(12)
2022年12月7日水曜日
コリングウッドによる自然(56): ヘーゲル(11)
2022年12月6日火曜日
コリングウッドによる自然(55): ヘーゲル(10)
2022年12月5日月曜日
コリングウッドによる自然(54): ヘーゲル(9)
2022年12月4日日曜日
コリングウッドによる自然(53): ヘーゲル(8)
2022年12月3日土曜日
Youtube Music からのまとめ
2022年12月2日金曜日
ゲオルク・ジンメルの言葉
今日は、ゲオルク・ジンメル(1858-1918)の言葉から
高い精神的な関心に生きることは、老人になった時の耐えがたい退屈と生活の倦怠とに対して私たちを守り得る唯一のものである。何によらず、低いもの、日常的なもの、感覚的なものは、何十年も繰り返していると、甚だ索漠たるものになってしまうからである。真に精神から生れ、精神に生きることは、その直接の質的な価値を全く離れても、変転及び無尽という価値を持っている。精神的な事柄に素質のある高い人間でも、永い年月を低い領域に過ごすことがある――しかし、やがて、その単調に気づき、外面的なものや感覚的なものの根本にある驚くべき変化の乏しさに気づく。それを知ると、彼は絶望に陥らずにいられないが、永らえて、なお絶望を防いでくれるのは、真に精神的な人間の内部の測るべからざる内容と自ら生じ来る不断の変遷とだけである。
(清水幾太郎訳)


















