2021年12月31日金曜日
12月を振り返って
2021年12月30日木曜日
今年を振り返って
2021年12月29日水曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(32)
2021年12月28日火曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(31)
2021年12月27日月曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(30)
2021年12月25日土曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(29)
2021年12月24日金曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(28)
2021年12月23日木曜日
大切なことは過去にしかない
このところ、これまでに書いたものを読み直している
その過程で確認しなければならないところが出てくる
そこで資料や本を探すのだが、それがなかなか大変である
記憶が全く当てにならないからだ
ただ、それが見つかった時には静かな悦びが押し寄せてくる
単純に繋がりが見えて問題が解決したということもあるが、それを切っ掛けに広がりを見せることがあるからだろうか
過去に自分が触れたものを蘇らせる過程で、どこかが強烈に刺激されるのではないかと疑っている
大切なことは過去にしかない、とでも言いたい気分である
ということで、今日はこれからに繋がる大きなアイディアが浮かんできた
一晩寝ると全くお話にならないことが判明することもあるので、少し様子を見なければならないのだが、、
全体的には、これまでには感じたことのないような落ち着いた状態にある
これがエピクロスの言うアタラクシアなのだろうか
いずれにしても充ちた時間が流れている
2021年12月22日水曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(27)
2021年12月21日火曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(26)
2021年12月20日月曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(25)
2021年12月19日日曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(24)
2021年12月18日土曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(23)
2021年12月17日金曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(22)
2021年12月16日木曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(21)
2021年12月15日水曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(20)
2021年12月14日火曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(19)
2021年12月13日月曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(18)
2021年12月12日日曜日
仙台で2年振りの語らい
2021年12月11日土曜日
紙の裏を読む
昨日はこのところでは珍しい長時間の集中ができた
新しいアトリエがそれを可能にしているのは間違いないだろう
おそらく、そこにはフランスからの荷物しかないため、生活の匂いがしないためと思われる
ところで、フランスの資料を整理する際、「必要なし」と判断した紙を取っておくことにした
紙の裏を印刷に使おうという魂胆であった
そこで思わぬ発見をした
今日、移動の途中にポケットに入っていた紙を取り、何気なく裏に目をやったところ、以前に書いた原稿があった
読んでいくと非常に新鮮で、いろいろな判断をしていた
当時、ネガティブに思っていたところが、それほどでもないのではないかというものがある
精神衛生に良さそうだ
勿論、その逆もあるのだろうが、、
これは新たなプロジェになるのではないか
そんな思いも浮かんだ
しかし、これは暇つぶし程度に考えておいた方が体には良さそうだ
ただ、目の前にあるものは見逃さないようにするという点では、良い気づきであった
2021年12月9日木曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(17)
2021年12月8日水曜日
サイファイ研ISHEのカフェとフォーラムを振り返る
科学と哲学のカフェ「サイファイ・カフェSHE」が始まったのは、2011年11月になる
今年で10年が経過したことになる
その後カフェが増え、PAWL、ベルグソン、SHE札幌、パリカフェの5つになった
この中のパリカフェは、COVID-19のためにフランスを引き上げたため、継続が難しくなりそうである
また、PAWLが始まるのを受け、2013年にこの活動のベースとしてサイファイ研究所ISHEを創り、現在に至っている
ここ2年間はこれらの活動が休止を余儀なくされている
これもCOVID-19の影響である
これ以上悪化することがないよう願いたいものである
この休みの間、これまでの活動を振り返ることにした
手始めとして、これまでの会の様子を写真で一望できるページを作ってみた
より正確には、偶然そのような仕様になっているページがあり、内容が埋まっていなかったので利用したということになる
ページはこちらから
いずれにせよ、実に多くの方の参加があり、これまで継続できたことが分かる
参加された皆様には感謝しかない
これからどのようにしていくのか、これまでの活動を振り返りながら考えることにしたい
今後に向けてのヒントやサジェスチョンなどがありましたら、歓迎いたします
これからもよろしくお願いいたします
2021年12月7日火曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(16)
2021年12月6日月曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(15)
2021年12月5日日曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(14)
2021年12月4日土曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(13)
2021年12月3日金曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(12)
「世界の原因は神ではなく、自然である」
2021年12月2日木曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(11)
2021年12月1日水曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(10)
2021年11月30日火曜日
11月を振り返って
今年も残すところひと月となった
いつものように今月を振り返ることにしたい
第一は、長期プロジェとしてきた試みが一応の終わりを迎えることになった
ただ、やり終えたという感慨はない
おそらく、これから先も続くと思っているからだろう
現在のバージョンは暫く寝かせて、再度見直すことにしたい
第二は、長期プロジェが一段落したので、中断していたプロジェをやっと本格的に始めることが可能になった
少しずつ始めている
これから思索を深めていきたいものである
第三は、今月もコンシュさんの「形而上学の概要」を読み、さらに「哲学的自然主義」へと進んでいる
コンシュさんの思考内容と言い回しに少しずつ慣れてきたように感じる
また、わたしの中にあるものと共振するところも少なくない
あるいは、最初に触れた哲学者としての影響が無意識のうちに及んでいるためかもしれない
来月も続けることになるだろう
第四は、長期プロジェから派生してきた考えをさらに深めることにした
調べて見ると、少なくとも今年の初めには考えていたアイディアであることが判明
長期プロジェのために1年間手を付けられなかったことになる
どうも一時期に一つのことしかできないようになっているようである
昔はもっと切り替えができたように思うが、一つのことに入り込む深さが今とは違う可能性が高い
いずれにせよ、このような流れがこれからも増えそうな予感がしている
第五は、新しいサイトを立ち上げることにしたことである
最近、フランス生活の中にいる時にはできなかった振り返りの作業ができそうな感じになっていた
おそらく、フランス生活が止まったままそこにあるので、見やすくなったことがあるのだろう
何かが終わるということには大きな意味があることを再認識する
新しいサイトは「Mind Files for Philosophical Musings」(哲学的省察のためのマインドファイル)と名付け、フランスで触れた「もの・こと」を拾い上げることにした
具体的には、2008年から書き始めたメモを読み返し、わたしの受容体を刺激した「もの・こと」を再確認・再発見することである
おそらく、その全体はその後に展開されるだろう新たな思索のベースとなるだろう
他のプロジェの合間を縫って、ゆっくりと進めていきたい
最後に、ほぼ2年振りに旧知の方々と対面で言葉を交わすことができたことが挙げられる
メールでは到底カバーできないものを得ることができたのは幸いであった
最近少し怪しげな気配を感じるが、COVID-19がこれ以上広がらないことを願うばかりである
今月もよく摘み取ったと言えるひと月になった
2021年11月29日月曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(9)
2021年11月28日日曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(8)
2021年11月27日土曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(7)
2021年11月26日金曜日
コンシュ「哲学的自然主義」(6)
しかし、わたしが語るこの自由――それは現れたものを純粋に受け入れ、無関係なものを加えることなく見るものを表現する判断を可能にするものだが――、これは依然として因果関係による決定がないことを意味するネガティブな自由でしかない。
これはまた、普遍的な自由でもある。
なぜなら、この自由が内包する開かれた構造――それはハイデッガーが Dasein (現存在)と名付けた構造である――はすべての人間において本質的なものであるからだ。
しかし、この自由にはうっとりさせる側面はあるが、別の側面も持っている。
疎外させるものと言うこともできる因果関係による決定の支配が法的に終わるところは、いわゆる良心の裁きの場である。
自己による自己についての瞑想から出発することにより、純粋に内奥から発する決定が生まれ得る。
その時、自由は個人的な独自の因果関係の出現に委ねられ、そこではそれぞれが自己の原因となる。
なぜなら、ベルクソンがレオン・ブランシュヴィックに「自由は虚しい言葉に過ぎないかも知れないし、心理的な因果関係かも知れない」と書いたように――勿論、原因と結果が同等である物理的因果関係をモデルに基づいて考えるべきではないが、創造的因果性として考えるべきである。
なぜなら、「行為自体により、以前には存在しなかった何かを創造すること」を意味しているからである。